2011年6月20日月曜日

手で田植えをするということ

この土日に、富山県城端にて遅い田植えをしてきました。
イセヒカリ、赤米、黒米、もち米の4種類を1.5畝の田んぼに植えます。
この土日は、イセヒカリ分で40%ほどの田植えでした。

3年ぐらい田植えや稲刈りをお手伝いさせていただいているのですが、ここの田んぼはどれも手作業。
※秋には、手刈りをして、稲架を立ててハサ干しします。


田植え機の普及により、苗取りもなければころがしを使う機会もないので、通りがかった年配の方々も懐かしそうに声をかけて下さいました。


米作りの機械化と農薬の開発が進み、農家の米作りでの負担が緩和され早数十年。 段々と手仕事での米作りを見かける機会が少なる一方で、勘や技、道具といったものの伝承も途絶えてきているように感じます。


機械化で得るものも大きいですが、その中で少しでも手作業で田植えを続けるということ。そこには、昔ながらの生活を垣間見る機会だけではなく、脈々と受け継がれてきた自然観を培う過程があるのではないかと、思ったのでした。





最近は、田植え体験が子どもたちへの教育の機会としてよく使われています。渋谷のお母さんたちのノギャルプロジェクトも話題となっていますで、食の安全という観点からも農業への注目は段々増しているようです。


手作業で農業をすること。

「面白い」だけではなく、情操を養う場としても求められているのかもしれませんね。



西村俊

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