2020年10月19日月曜日

稲刈りに想う「成長の再考機会」としての年中行事

今年は越県が自粛要請中だったので田植えには参加できませんでしたが、稲刈りには参加することができました。

「同じ作業工程を繰り返す」という事の意義、今回は感慨深く感じました。

コロナ禍での自粛が影響しているのか?と考えると、今まで当たり前にできていていたことができなくなって、再開したという観点からはそういった側面もあるかもしれませんが、子ども達(色々な参加者の子どもの成長も含めて大きな意味での)や参加する大人、そして自分の成長を、こういった「同じ作業工程を繰り返す」という事で感じる機会となるのだなぁと、改めて感じたことでした。同じ場所に入れ違いで集いながら数年ぶりに再会した人も多く、それぞれの変化をまた感じました。

いつのまにかノコギリ鎌が使えるようになっていたり、藁での結束が自然と身についていて身体が勝手に稲を縛っていたり、、、etc

同じ田んぼでも毎回、稲の分結の仕方や穂の稔り方も変わってきます。実際に田んぼの管理はしていませんが、毎日田んぼを気にしながら管理している方はもっと年々の移り変わりでの失敗や成長を肌で感じているのでしょうね。


大学時代に、久田邦明先生の授業を取っていて、年中行事や通過儀礼、公民館活動や生涯学習、子どもの居場所や溜まり場、に興味を持ちました。地域で受け継がれている「成人するにはXXできること」(ex. ある地域では、川への飛び込み:X歳までに大きな岩から、Y歳までに橋の上から etc)、一人前として認められる儀式。今は、どれくらい受け継がれているのでしょうか。

人生の節目節目の行事やイベント(成果発表会、記録会、冠婚葬祭)、積み重ねていくことで気が付く成長の機会、回顧する機会、未来への展望を描く機会、そういった「場」、皆さんそれぞれがお持ちなのでしょうね。

葬儀や**回忌(**年祭)の間隔、昔は身をもって、忘却曲線と回顧のタイミングの間合いのうまさを感じました。昔ながらの行事や風習の中には、色々な振り返りの機会が巻かれているのではないでしょうか。


余談↓

田んぼで元気に飛び跳ねていた「日本アカガエル」。このように脚を伸ばして掴むと、カエルはおとなしくしているのだそうです。


西村

2020年10月5日月曜日

粟(アワ)の収穫

小菅村の木俣先生からアワの種子を譲り受けて播種していたアワが色づいていたので収穫。

しかし、あまり大きく実のったものが無く、日当たりの問題でしょうか?(写真は選りすぐった良いもの)。来年はこれを親にして、良くなるか見てみたいと思います。