2012年8月10日金曜日

白峰の焼畑

日本の山村生活の中で、焼畑が行われてきた地域はいくつか存在するようです。東北地方、中部地方、四国・九州地方。
※「アラキ」「カノ」、「ナギハタ」、「コバ」と分類される。
白山麓の焼畑は、中部地方の「ナギハタ」発祥とも言われている。

焼畑は主に3形態から成り、稗(ひえ)を主役とするヒエナギ、越冬野菜の大根やカブを主役とするナナギ、ソバ栽培を主役とするソバナギに分類されるようです(火入れの初年度に播種する作物名に由来する)。
今回は、大根と株の種をまいたので、焼畑としては「ヒエナギ」になります。

白峰では、焼畑農法を中心とした「出作り」という特異な住居形態をもちつ技法が使われ、夏だけ出作り小屋に移住して行う「季節出作り」と、一年中居住しながら行う「永久出作り」があったようです。

 雑草、雑木などを焼き払う焼畑から始まり、
草木の乾燥→草木を段状に組む(代作り)→火入れ→焼けた斜面に鍬入れしナギカリ(薙刈り)
そして、播種を行う。

草木をなぎ倒して焼くので、「ナギハタ」とも言われるそうです。

栽培作物; 稗(ヒエ)、カブ→粟(アワ)→大豆、小豆→カマシ(シコクビエ)や小豆 5年くらいの輪作の後、休耕地(休閑年;20~30年)として地力の回復を待つのが一般的。

何区画にも分けた斜面を1年づつ焼畑して行くことで、それぞれの作物を得ることができます。

施肥を行わず、焼畑で生じたその灰を栄養分として栽培作物を育てることができ、焼くことによる消毒、害虫駆除、殺菌、灰による栄養補助などの効果が考えられるが、焼畑で育てた「焼畑大根」や「焼畑カブラ」がどうしてこんなにおいしいのかは未だによく分かっていないらしいです(収穫が楽しみ!!)。

 収入源というよりは、山間部の田畑が少ない所での自給穀物・野菜の栽培が主目的だったようです。 越冬野菜として、大根やカブラが重宝され、保存食の文化とともに、厳しい山間部での生活を支える重要な農法だったようです。

当日は、「白山麓の焼畑農耕」(白水社)の著者である橘 禮吉先生もお越しになり、講演会も開かれました。
山村の複合的に稼ぐ生活ぶりの中での、焼畑、養蚕、炭焼き、山の案内人、工芸などの繋がりと広がりの大きさを感じました。

西村 俊

2011年11月20日日曜日

白峰雪だるまカフェ


石川県白山麓は、旧5村(河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村)が合併した地域です。
※平成17年2月に1市2町5村(上記旧5村と、松任市、美川町、鶴来町)が合併し、「白山市」となりました。

現在、農林水産省北陸農政局「農山漁 村(ふるさと)地域力発掘支援モデル事業」の取り組みの中で、河内、吉野谷、鳥越、尾口の4地区が、【白山ろくぼたん鍋プロジェクト」協議会】(平成21年2月~)として、白峰地区が、【白峰雪だるまの里協議会】(平成20年11月~)として、それぞれ活動しています。

白峰地区は、大雪を活かした雪だるままつりや、伝統的な町並みの保存、伝統食(栃餅、ぼた餅、堅豆腐、そば、おろしうどんなど)の販売などを行い、その中で、雪だるまカフェは、伝統食の提供の場、更には活動拠点の中核となっている場所です。
今日は雪だるまカフェで、ぼたもちと堅豆腐の大切れ汁を頂きました。

地域の大学生も要のスタッフとして活動を支えながら、地域振興や活性化に知恵を絞る。その中で、【食文化】や【特有の風土】は、重要なキーワードとして捉えられ、再考されてゆく。

【地域活性化】という言葉の捉え方は様々かもしれませんが、地域に新しい風が起こったり、これまでの文化の大切さを振り返ったり、若者世代の情操を養う場としても行かされたり、このような複合的な活動がこれからの地域社会を支える要になるのではないかと感じています。

西村 俊

2011年8月29日月曜日

キビの収穫

 5月の雑穀栽培講習会でキビ、アワを中心に参加者の皆さまと播種しました。 本日、キビの収穫を開始しました。例年より、1週間ほど遅い感じです。モチキビ、ウルチキビともに、今週末ぐらいまで、あと5日ほど、そのままにしておきたいのですが、水曜日から雨-場合によっては台風を迎える可能性があります。よって、今日~明日の晴れていて、穂が乾いているうちに収穫をしておきます。納屋がないので、簡易干し場を作って干しておきます。
 アワは例年よりもきれいな畑になりました。村の方の協力もあり、2回の草むしりと土寄せを行うことができました。アワの収穫は9月下旬頃になります。8月15日頃は、一列につき、一つ程の出穂でしたが、2週間を経てほぼ全てが出穂し、頭を垂れ始めています。
 鳥避けも万全です。あとは台風で倒れなければいいな~、と思っています。

          報告:黒澤(植物と人々の博物館事務局、NPO法人自然文化誌研究会事務局)

2011年8月25日木曜日

ドリアンの花が咲きました


 タイのチェンマイで食べたドリアンの種子を持ち帰って、15年ほど前に播きました。すぐに4個が発芽して、育ち、今夏、不十分な形態ながら、花が咲きました。日本で3例目のようです。果物の王様と言われながら、匂いが強いので、ホテルや飛行機には持ち込み禁止の果実です。
 かの夜は、禁断の木の実をナイトバザールで買ってきた人がいて、ホテルの私の部屋でドリアン・パーティをしました。預かったタイのスルメとドリアンの匂いで窓を開けて寝ようとしました。その結果、匂いに倍する多数の蚊の襲来で、眠れない夜でした。
 その後、バンコックでドリアンを買って、日本に持ち帰って食べたことがあります。5重に包み、飛行機に載せました。植物防疫上では問題はないのですが、匂いで持ち込めません。ホームページにはこの生育した樹と持ち帰った実の写真が載せてあります。今回の花は次に紹介します。

 木俣美樹男:東京学芸大学環境教育研究センター

2011年8月7日日曜日

花火大会と灯(ともしび)

 昨日は、川北まつり北國大会大花火川北大会でした(写真1)。川北の花火大会は、土手に座った人で埋め尽くされていて、人々を見ているだけでも壮観な感じがします。7ー8月にかけて、各地で夏祭りや花火大会が行われていますね。なぜ、夏にお祭りや花火大会が開催されているのでしょう?
 しっかりと調べていないので、博物館日記にはふさわしくないかもしれませんが、一説には、農作業の労を労ったり、死者の弔いのために始まったようです。夏祭りに限らずたくさんのお祭りが各地で行われていますが、観光や余暇としてだけでなく、地域での意味を知って参加してみると、また違った趣を感じることができるのかもしれません。

 今日は、鳥越一向一揆まつりにも行ってきました。石川県鳥越地区は、織田信長の時代に一向一揆を戦った場所。このお祭りは、その時に戦った人々を称えるために行われているようです。
 写真は、鳥越万灯華(写真2)。灯を見ていると、幻想的な雰囲気に包まれながら、ゆっくりと思考や感得することができます。6月には金沢百万石まつりで浅野川灯ろう流しもありましたが、その時にも同じような感覚がありました。灯が作り上げる幻想的な世界にもまた、大きな意味があるように感じたのでした。

文;西村 俊

2011年6月20日月曜日

手で田植えをするということ

この土日に、富山県城端にて遅い田植えをしてきました。
イセヒカリ、赤米、黒米、もち米の4種類を1.5畝の田んぼに植えます。
この土日は、イセヒカリ分で40%ほどの田植えでした。

3年ぐらい田植えや稲刈りをお手伝いさせていただいているのですが、ここの田んぼはどれも手作業。
※秋には、手刈りをして、稲架を立ててハサ干しします。


田植え機の普及により、苗取りもなければころがしを使う機会もないので、通りがかった年配の方々も懐かしそうに声をかけて下さいました。


米作りの機械化と農薬の開発が進み、農家の米作りでの負担が緩和され早数十年。 段々と手仕事での米作りを見かける機会が少なる一方で、勘や技、道具といったものの伝承も途絶えてきているように感じます。


機械化で得るものも大きいですが、その中で少しでも手作業で田植えを続けるということ。そこには、昔ながらの生活を垣間見る機会だけではなく、脈々と受け継がれてきた自然観を培う過程があるのではないかと、思ったのでした。





最近は、田植え体験が子どもたちへの教育の機会としてよく使われています。渋谷のお母さんたちのノギャルプロジェクトも話題となっていますで、食の安全という観点からも農業への注目は段々増しているようです。


手作業で農業をすること。

「面白い」だけではなく、情操を養う場としても求められているのかもしれませんね。



西村俊

2011年3月7日月曜日

雛人形

今週末は、とある石川県の旅館にお邪魔する機会がありました。
ロビーには、ひな人形がありました。

私は見て、何か違和感を感じたわけですが、
違和感を感じる人とそうでない人がいるようですね。


少し調べてみたら、

「男雛が向かって左、女雛が向かって右」なのは近代的で、

もともとは

「女雛が向かって左、男雛が向かって右」(古典的)なのだそうです。


私は関東出身なのですが、「男雛が左、女雛が右」の並び方でしか見たことがありませんでした。
北陸では、、「女雛が左、男雛が右」の並びが多いみたいですよ。
時代や地域によって、形も顔も服装も装飾品も異なるようです。

全国的に同じ行事でも、その時期を別の地域で過ごしてみると、また新しい発見があるのかもしれませんね。

研究員;西村